●昭和30年代の東京でモダンジャズの洗礼!
浅草のジャズ喫茶で見たピアノ・トリオ…“地響きのするような力強いベースの音に感動し、そのべーシストに弟子にしてくれとお願いしたんです”この時、鈴木淳19歳。ベースという楽器との、運命の出会いだった。
“それまではいろいろな音楽を聴いていました。シャンソン、カンツォーネ、ジャズ、クラシック…で、先輩に薦められてモダン・ジャズに興味を持って、初めて買ったのがマイルス・デイヴィスの「マイルストーンズ」。昭和33年(1958年)、このアルバムが出た頃に買ったんです…”その素晴らしい演奏に衝撃を受け、以来モダンジャズに傾倒していく。
「あの頃の浅草や銀座には、キャバレー、クラブがたくさんあり、ミュージシャンもわんさかいました。そんな環境で、ベースを始めて1週間という頃、トラの話が来たんです。弾けなくても立っていればいいからって(笑)。そのうちそのバンドのベースが辞めることになり、本格的にベースを始めないかという話になったんです」
この時代のミュージシャンは、仕事がないと楽器を持って東京駅・丸の内口に立っていると、「ラッパいるか?」「タイコいるか?」などと言われて、その日の仕事をもらっていた。吹けなくても、弾けなくても楽器を持っていれば仕事があるという時代だったのだ。
「丸の内口で待っている人は音楽的にはランクが下の人が多かったようです。また米軍キャンプの仕事がある時は、新宿の南口で待っていると米軍のトラックがやってきてキャンプで演奏する、なんてこともやってました。幌のついたトラックで、雨が降ると冬はとても寒かった・・・そんな具合にふらふらしてても、喰っていけるだけの仕事はあったようです。失業したことは一度もありませんでしたね。銀座、新橋、浅草、新宿にはキャバレーがたくさんあり、そこのハコバンで演奏した後ジャズ喫茶でに行って聴く。輸入盤の新譜は個人ではほとんど買えなかったですから、その場で聴きながら五線紙を用意して各々譜面
にしていく。後で合わせてみると全然違ってたりするんですが(笑)。キャバレーの仕事を得るためのオーディションで、1曲くらいは硬派なジャズを演奏して、バンドのテクニックを誇示するわけです。あそこのバンドはもう“ジャイアント・ステップス”やっている!とか言われて(笑)。話題の新曲をいかに早くバンドで演奏するか競い競い合うんです。コルトレーンの“ジャイアント・ステップス”をやると仲間うちから注目されたものです」
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| 若き日の鈴木淳 |
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| マイルストーンズ/マイルス・デイヴィス('58録音) |
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| ジャイアント・ステップス/ジョン・コルトレーン('59録音) |
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